SSブログ

募金活動への違和感

囲碁大会に出場してきました。

場所は京都で開催されたものです。

行く途中で募金活動をやってる団体がいらっしゃいました。

その人たちは
「イスラムのなんちゃらかんちゃらとか」
言っていたのですが
イマイチ、なにに対して寄付してほしいのかどうか伝わってきませんでした。

募金活動自体は僕は賛成です。
活動自体が社会に対して貢献できているからです。

だけど、街中で人が通りすぎてる(動いてる)ところでやってても
人に聴こえてる(伝わってるか)どうか疑問に思います。

それと、何を一番大事(プライオリティー)にして活動してるかが
僕にとって重要に思えます。

僕の実体験から
①場所を選ぶ
骨髄移植が無事終わり、小学校にもちゃんと行けてから
大学生の人たちがやってたある患者さんの白血病の患者さんの物語
を劇で発表するところで募金活動したりしていました。

その当時の記憶を思い出す限りでは
高齢者の人が僕が持っていた募金箱にいっぱい現金をいれてくださってました。

こういう場所選びが重要だとまず僕は思いました。

講演会などに来てくれた人は少なからず、関心があるから来てくれてるので
比較的、寄付してくれるでしょう。

講演会をすれば、

「伝えたいことを広めることができる」

というメリットもあります。

②ただ単に募金して欲しい場合
せっかく時間を使って街中にみんなで募金活動しても
目標金額、必要な金額が集まらなかったら悲しいですよね?
これは高校生時代から考えていたことなんですが

単純にアルバイトをみんなでして、それを寄付したほうが
まとまった金額になるのでは?

と思います。

こういうことをいうと
「せっかく自分で稼いだお金なんだから、なんであげなくちゃいけないの?」
という反論が返ってきそうですが

こういう意見をいう人は本当にボランテャイア活動で募金をして
病気の人を助けたいかどうか胸に手を当てて考えてほしいところです。

っていうことを囲碁大会の会場に着く前まで考えていました。







nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。