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医療ミスを暴露します [骨髄移植]

こんばんは
HIROYUKI
です。

病気になったら、すぐに病院に行く

というのが一般の人にとっては普通な思考ですよね。

僕も風邪をひいたら、病院に行くクセがあります。

一回、騒音性難聴になったときには

1人のお医者さんの意見に振り回されましたが

それでも、感謝しないといけないですよね。

僕より医学を勉強して、診察してくれたのだから。

だけど、そんなお医者さんでも医療ミスをして

人を殺めたりすることだってあります。

僕が当時、入院していた

日本の最高学府と呼ばれる病院

どことはいいませんが

①そこの大学卒の人いちは天才がさらに天才になるか

②廃人、オタクになるか

どちらかになるかっていう大学に入院していました。

そこで入院していたボクの知り合いは

医療ミスによって、亡くなってしまいました。

その知り合いの人はボクといっしょの

遺伝疾患の一つの

ミトコンドリア病でした。

その人は寝たきりで、いわゆる

植物人間でした。

意識がない状態です。

ある日、看護婦さんが

点滴をセッティングするモノを

間違えて、それが原因で亡くなりました。

セットするモノヲを間違えたものは

日本の中学生、高校生の知識があるなら

誰でもわかる

水とエタノールを間違えました。

原因になったのは看護婦さんですが

お医者さんにも問題はあります。

病院で入院してると

お昼に

教授回診が一回、専門医回診、

朝、昼、夜

の担当医の診察があります。

三日間、誰も点滴にセットしてるエタノールに気づかなかったという

悲惨なミスです。

三日間、血管にダイレクトにアルコールをいれてる状態です。

死因は急性アルコール中毒です。

ミスと書きましたが

実は刑事事件になった話です。

お葬式のときに遺体を警察がもっていくという

ことになったぐらいです。

内部告発があったからこそ

刑事事件になったんですが・・・・

いくら、最高学府の病院でも

こんな問題を起こしてるのは事実です。

あまり、メディアにはこういう話はでてこないので

パっとこないかもしれませんが

自分が寝てるときにまさか

エタノールをいれられてるなんて

思いませんよね?

大学名に翻弄されないようにするしかないですが

だいだいボクは診察してもらうときに

お医者さんの顔を観ると

どんなお医者さんかわかります。

その話はまた次回あたりにします。

ありがとうございました。


入院中は風呂に入れない [骨髄移植]

こんばんは
HIROYUKI
です。

小学校3年生のときに

骨髄移植をしたわけですが

そのとき、無菌室と準無機質、二人部屋に行ったときがあります。

そのときは免疫力がほぼなかったため

病院の廊下にでることさえ、許可をもらえませんでした。

5ヶ月間、お風呂にはいれない状態が続きました。

どうやって体を洗っていたかというと

殺菌された温かいタオルで

体のアカをとっていました。

なので、お風呂にはいって体を洗うよりか

難しかったです。

そのことをシャワーを浴びてるとjきに思い出したんですが

今は気軽に

お風呂にしようかな、シャワーにしようか

悩むぐらい贅沢ができてるんだな

ってふと思いました。


これって風邪をひいたときに健康のときの

ありがたみを感じるのと似ていますよね。

病院生活しか体験できなかったことを

これからもシェアしていきます。

ありがとうございました。


命を救ってくれた人からの手紙 [骨髄移植]

ドナーさんからの手紙.jpg
こんばんは
HIROYUKI
です。

骨髄移植する前に僕の命を救ってくれた人からの


手紙を公開します。

骨髄移植した張本人ってなかなか世に現れませんよね。

そして、成功した事例ってなかなかありません。

ドナーさんが見つからずにそのまま生活している人もいます。

移植をしたけれど、亡くなった方もいます。

僕が本当に移植をしたのかどうか奇しんでる人もいるでしょう。

なので、移植する際に

ドナーさんからもらった一通の手紙を公開します。

人生初です。母親以外にこの手紙を見せたことはありません。


写真では、はっきりと中身がわからないので

以下は手紙の内容です。

生きることはつらいかもしれない。

でも、生きれないことはもっとつらい。

親子だから、兄弟だからじゃなく

他人だからこそできることってあるよね。

みんなで生きていくんだ。つらいことを楽しい

ことにかえながら・・・

そして、すばらしい やさしい人になれるよう
       がんばりたいね。

22年間 サッカーばっかりしてきたから

元気だけは人にまけないつもりです。

したがって
ぼくの骨髄は すごいぞー

必ず元気になれるから 生きたい

いろんな 体験したい  そう心から願えば

必ず元気なれるから がんばれ

君の人生は はじまった ばかりだ。

以上です。

この手紙を15年ぶりに読みました。

涙を流し、鼻水ズルズル出しながら記事を書いています。

小学校2年生の頃は手紙を読んでも特に

ありがたみがわからなかったボクですが

今は感謝の気持ちでいっぱいです。

生きてる、生かされてる

っていう感覚がめっちゃあります。

骨髄移植が成功してるから、今こうやって生きてる。

この手紙を残しといてよかったです。

これはボクと家族の宝物です。

みんなの力になれるように、毎日頑張っていこう

という気持ちが湧いてきました。

ドナーさんに手紙を書こうという気持ちも湧いてきています。

小学生の通知簿は成績が悪くて

周囲と比較して、劣等感を感じ

親には責められて、いやな思い出ものだったので

全部捨ててしまったけど、なぜかこれだけは

捨てなかった。

本当に残しといてよかったな。

自分だけの記録が残ってるのは捨てないで

大切に残しときます。

たとえそれが、自分にとって苦い思い出のものでも。

時間が経てば、宝物になるのだから。


ここまで読んでくださって、ありがとうございました。

HIROYUKI




タグ:ドナー 宝物

病院の食事 [骨髄移植]

こんばんは
HIROYUKI
です。

入院生活で免疫力が強くなってきたら

病院側が作ってくれる料理が食べれるようになります。

初めて、病院の料理を食べれるようになったときは

めちゃくちゃ嬉しかったです。

今でも絶食生活を終え、固形物を食べれる喜びは忘れられません。

ですが、病院の食事ってめちゃくちゃまずいんですよね笑

今今でも忘れませんが

ちょー味がうすいんですよね(泣)

ある程度、食べていいものが増えてくると
免疫力がついてきます。
すると、親族と面会できるようになりました。

今でも覚えていますが、入院してた部屋が

大部屋になったときに初めて

面会に来てくれたのは

母方のおじいちゃんです。

おじいちゃんは入院見舞いで

駅前でおにぎりを買ってきてくれました。

そのおにぎりですが

めちゃくちゃおいしかったです。

そのおいしく食べる姿を

おじいちゃんを横で見ていたわけですが

突然、泣きだしたことは

今でも忘れられません。

それほど、病院の食事はまずかったです・・・・

もう病院食は勘弁してほしいですね。

あなたの知り合い、友人や親族で入院している方がいるなら

食べ物の差し入れをしてあげるのもいいかもしれませんね。

注意しないといけないのは差し入れする前に

食べていいもの悪いものを事前に聞いておくことをオススメします。

では、今回はこの辺で。

無料相談を始めました。
なにか聞いてほしいことがあるなら
dorodanngoz@mail.goo.ne.jp
までメールをください。
できる限り、はやめに返信します。
場合によってはスカイプで通話もします。





入院生活の楽しみ [骨髄移植]

こんばんは

HIROYUKiです。

病院生活って基本的に

部屋の中でしか行動できなかったんですね。

手洗い、トイレ、食事

生活は基本的に部屋の中で過ごします。

母親は僕に勉強道具を買ってきて

渡すんですが、僕は全くやりませんでした笑

勉強なんて全く興味はありませんでした。

僕が興味があったのは

テレビゲームです笑

よくやっていたゲームは

ポケモンのグリーンバージョンです。

ポケモンの初期です。

その当時、発売された

ポケモンスタジアムと連動していたので

ずっとやっていました。

他にも
ロックマンシリーズ
スマッシュブラザーズ
バトルビーダマン
をやっていました。

ゲームをやっていないときは
テレビを観るしか楽しみはなかったです。

アニメは再放送されていた
らんま1/2

リメイクされた
Dr.スランプあられちゃん。

レッツ&ゴー
が記憶にあります。

外出許可がでていなかったときは
テレビを観るか、テレビゲームをするかの
どっちかでした。

入院生活をする予定の方、
入院してる人でなにかヒマしてる人は
自分の楽しみを見つければ
少しでも気がまぎれると思います。

どうしても、自分1人だけで
悩んでる方は
僕に相談してください。

最近、無料相談を始めました。
宛先はこちらのメールアドレスです。
dorodanngoz@mail.goo.ne.jp

場合によってはスカイプを使って
電話で話すこともできます。
よかったらどうぞ!

では、今回はこの辺で。

一ヶ月絶食 [骨髄移植]

こんばんは
HIROYUKIです。

骨髄移植をするときは無菌室に入って

移植をします。

無菌室にいるときは食事は摂れません。

なぜなら、食べ物を自分の力で消化できないからです。

朝、昼、晩、すべての食事を抜いていました。

食事を全くしないと人間は死んでしまいますよね?

だから、点滴から栄養のはいった液体を

入れていました。

その期間は一ヶ月。

このときが一番辛かったです。

無菌室にいるときは1人でゲームやテレビを観ていました。

ゲームは楽しく、気がまぎれるんですが

テレビは夜のゴールデンタイムになると

料理番組がやってますよね?

それをチラっとみるだけで

「おいしい食べ物、食べたいなー」

って気持ちが湧いてきます。

だけど、点滴で栄養を体内に送ってるので

お腹はすきません。

ただ一つ許されていたのが

飲み物です。

飲み物でも

炭酸は禁止

ココア、カフェオレ、コーヒーはオッケーでした。

飲み物は飲んでもよかったんですが

特殊なルールがありました。

一度、開けた飲み物は開けたときにしか飲めない。

薬を飲むときの必須アイテムでした。


薬は朝、昼、晩、看護婦さんが届けてくれます。

そのときに

まわりの看護婦さん、ドクターは

僕に気をつかってくれて

よく差し入れでカフェオレや紅茶、ココアを

もらっていました。

今思えば、すごい恵まれていたなー

って思います。

薬を看護婦さんが届けにくるときも

楽しみでした。

無菌室は1人だったので喋る相手がおらず

ヒマで仕方がなかったなのです。

励ましの言葉も今でも覚えています。

「ヒロ君、元気になったらいっしょにご飯に行こうね」

「食事ができるようになったら、マクドナルドに連れてってあげるね」

今ではマクドナルドに行くのは否定的ですが

その当時の僕にとっては好物だったので

だいぶ嬉しかったのです。

結局、外出できるような体調になっても

食事には行きませんでした。あーもったいないことをしたな苦笑


では、今回はこの辺で!

無料相談を受付開始しました。

dorodanngoz@mail.goo.ne.jp

なにか悩んでることがあればメールを送ってもらえれば
返信します。
場合によってはスカイプでも対応します。
タグ:絶食 無菌室

移植前の準備 [骨髄移植]

前回は

ボクの体の中の細胞の酵素が欠如してるという

ことが保育園卒業する前に発覚し

ボクの父親が浮気して

母親と実家に帰った話で終わりましたね。

今日はそれから小学校二年生の話をします

移植する前の準備ですね。

実家に帰ったあとは

ドナーさんが見つかるまでは待機ということになりました。

小学校一年生の頃は楽しく学校に行ってましたが

小学校二年生の頃にドナーさんが見つかりました。

ドナーさんが見つかったら、準備のために短期入院をしました。

短期入院の目的は
移植して失敗しても、大丈夫なように
血液の予備をとりました。

そのときは集中治療室に10時間ぐらいいて

点滴をし、くだを通して血を採血していた記憶があります。

この移植までの準備を早くしたからこそ

今のボクのほぼ健康状態の体があります。

というのも

保育園のときに酵素が欠如してることが判明したわけですが
父親と母親がボクをいつ移植させるか話し合って

父親は
息子が二十歳ごろに移植をすればいいという考え

母親は
今すぐに息子に移植をさせてあげたい

という考え方をしていたわけです。

実際に
ボクといっしょの症例(ガラクトシアリドーシス)をもってる方は
22歳で寝たきりで、ずっと喋れない状態になっていました。
その人とは移植をしたあとに会ったことがあります。

移植を成功している人は小学校低学年までにやっています。
もし、父親の判断が優先されていたら
ボクも寝たきりでこのブログも書いてもいませんし
ニコ生で歌ってることもないでしょう。

移植をしたくてもドナーが見つからないせいで
移植ができない人もいるわけです。

今でも宝物としてドナーさんからもらった手紙は大切に保管しています。










遺伝子疾患(幼少期) [骨髄移植]

こんにちは
博之です(生主名 奈良代表ヒロユキです)

ボクは実は小学校3年生のときに
骨髄移植をしました。

生まれつき実は遺伝子疾患で
世界で98人しかもたないと言われてる
galactosialidosis(ガラクトシアリドーシス)検索すればでてきます。
という遺伝子疾患でした。

生まれは大阪で、家庭内の事情で引越し経験は豊富で
5回あります。

母親と父親とボクの3人で暮らしていたのは
保育園児の卒業まででした。

保育園児の頃はゲームやアニメ、プラレール、人形遊び、外での遊び
とまあ普通な保育園児でした。

朝、保育園に行くときはよく鼻血をだして行ってたような記憶があります。

それは父親からよく殴られたり、投げ飛ばされたりしていたからです。

今でもソファーに向かって、投げ飛ばされたり、顔面殴られたする記憶が鮮明にあります。

今は母親と同居して、食卓で笑い話のネタになっていますが

当時、ボクは名探偵コナンが好きでテレビを観ている最中に

父親が勤務先の会社から帰宅して帰ってきた途端に

テレビの電源を急いで切って、その場で正座して父親がリビングに来るのを

待っていた記憶もあります。

勉強でも泣きながら、ボクの下の名前の「ひろゆき」の「ろ」がうまく書けなくて

父親に殴られながら、書いて練習していた記憶もあります。

ギターの練習も無理やりやらされて、弾けるまで泣きながらやらされていたり
と父親との良い思い出がありません。

こんなことが幼少期の頃にあったのが原因がわかりませんが

ボクは年上の人がちょっと苦手意識があります苦笑

その父親ですが、ボクの母親にもけっこうきつくて

よく夫婦ケンカしていた記憶があり、家庭内では暴力を奮って当たり前。

家庭内では息苦しかった環境でした。

家の中では苦しい時間を過ごしていた
ある日、ボクはぜんそくになり病院に行きました。

すると、ただのぜんそくじゃないことが血液検査によって判明しました。

血液検査によると、体の血液中で分解できていない

ものがあって、細胞が死んでることが判明しました。

これを発見してくださったのは大学院生(医学部卒業)の人だそうです。

同時にこのときにボクの父親の浮気が発覚して

浮気発覚の翌日にボクと母親は実家に帰りました。

では次回はドナーさんが見つかり、移植するまで

どんな準備をしたか話します。

なにか、訊きたいことがあればニコ生の放送のときにでも
質問してくださいね。

http://com.nicovideo.jp/community/co2090601
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